大学時代の友人、高橋は、ずっと自分の出っ歯を気にしていた。社会人になり、一念発起して歯列矯正を始めた彼を、私たちは応援していた。しかし、二年後、装置が外れた彼の笑顔を見て、私は少し複雑な気持ちになった。歯のガタつきはなくなり、一本一本は綺麗に並んでいる。でも、口を閉じた時の、あのこんもりとした口元の印象は、治療前とほとんど変わっていなかったのだ。後日、彼と食事に行った際に、思い切って聞いてみた。「矯正、終わったんだね。でも、正直、もっと口元がスッキリすると思ってたんだけど…」すると彼は、少し寂しそうに笑って言った。「だよな。俺もそう思ってた。でも、これが限界だったみたい」。彼が選んだのは、「歯を抜かない」非抜-歯矯正だったという。「健康な歯を抜くのはどうしても嫌で、非抜歯でできるって言ってくれるクリニックを探したんだ」。彼の気持ちは痛いほどわかる。しかし、彼のケースでは、その選択が「治らない」という結果を招く最大の要因となってしまったのだ。出っ歯の人の多くは、顎の大きさに比べて歯が大きく、全ての歯が綺麗に並ぶためのスペースが不足している。その状態で無理やり歯を並べようとすると、どうなるか。行き場を失った歯は、歯列全体を前に押し広げるようにして並ぶしかない。その結果、個々の歯のガタつきは解消されても、アーチ全体が前方に拡大し、口元の突出感は改善されない、あるいはむしろ悪化してしまうことさえある。これが「非抜歯矯正と出っ歯の罠」だ。出っ歯を根本的に改善し、口元をすっきりとさせるためには、前歯を後方に移動させるための「スペース」が不可欠なのだ。そして、そのスペースを確保するための最も確実で一般的な方法が、「抜歯」なのである。もちろん、全ての出っ歯に抜歯が必要なわけではない。軽度なケースや、歯列のアーチを側方に拡大することでスペースを作れる場合もある。しかし、高橋のように、ある程度以上の突出感がある場合、抜歯は美しい横顔を手に入れるための「必要な犠牲」とも言える。彼は、治療が終わった今、抜歯をしてでも、もう一度やり直したいとさえ考えているという。彼の経験は、私たちに教えてくれる。目先の「歯を抜かない」というメリットに飛びつく前に、それが自分のゴールを本当に達成できる方法なのかを、冷静に見極める必要があるのだと。