市販されている歯列矯正マウスピースが、なぜ危険性を伴うのか、その理由を深く掘り下げてみましょう。根本的な問題は、歯科医療行為であるはずの歯列矯正を、専門家である歯科医師の診断、検査、治療計画、そして管理・監督なしに、自己判断で行おうとすることにあります。歯列矯正は、単に歯の表面に装置をつければ歯が動くという単純なものではありません。そこには、個々の歯の形態、歯根の長さや方向、歯を支える歯槽骨の量や質、顎骨の大きさや位置関係、噛み合わせのバランス、顎関節の状態、そして患者さん固有の生物学的反応など、考慮すべき無数の要因が存在します。歯科医師は、これらの情報を精密検査によって収集・分析し、医学的知識と経験に基づいて、安全かつ効果的に歯を移動させるための治療計画をオーダーメイドで立案します。このプロセスを抜きにして、既製の、あるいは自己採取した不正確な歯型に基づくマウスピースで歯を動かそうとすることは、例えるなら、設計図なしに闇雲に建物を建てようとするようなものです。具体的にどのような危険があるのでしょうか。第一に、不適切な力のコントロールによる歯と歯周組織へのダメージです。歯は、適切な方向に適切な強さの力を加え続けることで、周囲の骨がリモデリング(吸収と添加)を起こし移動します。市販のマウスピースでは、この力のコントロールが全くできません。強すぎる力がかかれば歯根が吸収されて短くなったり、歯を支える骨が過剰に吸収されて歯がグラグラになったりする可能性があります。また、歯肉に過度な圧迫が加われば、血行障害を起こして歯肉が退縮したり、炎症が悪化したりします。第二に、意図しない歯の移動と不正咬合の誘発です。歯は三次元的に複雑な動きをします。傾斜移動、歯体移動、回転、挺出、圧下など、目的に応じて様々な動きをコントロールする必要があります。市販のマウスピースでは、このような精密なコントロールは不可能であり、歯が予期せぬ方向に動いたり、一部の歯だけが強く当たって他の歯が噛み合わなくなったり、開咬や過蓋咬合といった新たな不正咬合を引き起こしたりする危険性があります。第三に、根本的な問題の未解決と悪化です。歯並びの乱れの原因は、単に歯の位置の問題だけでなく、顎の骨格的な不調和や、舌癖・指しゃぶりといった悪習癖、あるいは呼吸の問題などが潜んでいることもあります。
なぜ市販マウスピースでの歯列矯正は危険なのか